今週の「週刊 DRY」
というわけで、今週もやってまいりました。
全世界のDRYをお届けする、「週刊 DRY」の時間です。

先週は、某アサヒビール工場への潜入捜査を試みた我々取材班ですが、残念ながら、幻と言われた「スーパードライストーン」の存在を確認することはできませんでした。
鶴見のしみ軍血風録
真紅雑賀に燦然と咲き誇る愛のある一門しみ軍!なのですが、今回のしみ軍血風録は元さんの最近小難しい!とのお言葉を頂いたので分かりやすくしてみました。誰も読んでないと思って最近趣味に走りすぎてましたしw
それでは、ルーピーさんのリクエストにお答えして、今回はルーピーさんです。
以前の配達のお仕事のエピソードから。

あれは私が毛皮もこもこの大型犬だった時の話です。
その夜は、いつもやんちゃな和広が沈み込んでいた。
その夜はクリスマスイブ。
子供達が幸せいっぱいの夜なのに、彼は私と二人きりだったのだ。
いつも一緒に遊んでる仲良しのちゅーくんも、くまくんも今夜はプレゼントをもらって
家族揃ってご馳走を食べています。
「僕、もう小学一年やし大人やで!」が口癖の和広だが、
それが共稼ぎの両親を気遣った嘘である事を私は知っていた。
家を買うために無理して働いて、結局家に帰れないのだから大人とは馬鹿丸出しだ。
それよりも、子供と一緒に過ごす方が大切だろうに。
しょげかえった和広は、私と遊ぶ気分では無いらしく、私にできるのは一緒に居て手を舐めるくらいだった。
その時突然、リビングに赤い服を着た男が現れた。
私に気づかれずにどうやってリビングに入ったのか?
すぐ近くにいながら、この男の匂いを捕まえる事ができない。
ただ、そこに居るのが分かるだけだ。
赤い服の男は言った。
「おやピレネーの旦那は俺が見えるのかい?」
何故か、和広は全く男に関心を払わなかったが私のやる事はハッキリしている。
今、この家にいるのは和広と私だけ、家族とテリトリーを守らなくてはならない。
「俺は良い子にプレゼントを持ってきただけだって、そんな怒るなよw」
赤い服の男は宅配業者のようだが、信用できない。突然リビングに現れる宅急便など見たことがない。私は男と和広の間に立ち警告の唸り声を出した。
「俺は誰からもお礼の1つも言ってもらえない哀れな配達屋だよ。こうやって話すのも久しぶりなんだ、ピレネーの旦那w」
私は男が怪しい動きを見せたら赤い服よりも真っ赤にしてやるつもりだったが、男は微笑を残して消えた。またも突然に。
和広は突然威嚇しだした私に驚いたようだが、すぐに忘れたはずだ。彼をもっと驚かす事が起こったからだ。
抱えきれない仕事を抱えていた両親の仕事が急に落ち着き、身体の調子を悪かった祖母の具合が急によくなって、立て続けに和広の下にやってきたのだ。
和広は沢山のご馳走とプレゼントとなにより家族に囲まれて幸せそうだった。私もチキンを山ほどもらって幸せな夜だった。

そして、そんな夜の事などすっかり忘れてた、とても寒い冬の夜の話。その頃の私は毛皮がぱさぱさの老犬になってしまっていた。
その頃の私の居場所は庭にある、どう考えても私には小さい犬小屋だった。昔ならこんなに寒い夜は和広が家に入れてくれたのに。たとえ両親に毛が抜けて家が汚れるとか、ピレネー犬は寒さに強いから平気だと怒られても、彼の部屋にかくまってくれたものだった。
だが、和広は変わってしまっていた。もう散歩にも連れて行ってくれない。仲良しのくまくん達とも疎遠になり悪い友達ができたようだった。
不況と闘う両親に向かって「殺すぞ!あ、ァ~~ン!」と声を荒げるようになっていた。ボンタン狩りでもやっているのだろうか?和広はしだいに家に帰らなくなっていた。
その寒い夜も、和広も両親も帰ってこないので私は一人で犬小屋にいた。
「久しぶりだな、ピレネーの旦那」
また、なんの前触れもなくあの男がやってきた。この日は黒い服を着ていたが。もしや宅配業者をやめて葬儀屋に転職したのだろうか?
「いや、配達屋のままだよ、ただ荷物の中身で服を変えているんだ。良い子には赤い服で楽しいプレゼントなんだけどな・・・」
良い子には?今の和広はとうてい良い子とは言えない。黒い服で何を配達する?
「・・・」
男は沈黙で答えた。昔の私なら繋がれている鎖を引きちぎって男を止める事ができた。だが今の私にできるのは哀願の泣き声を上げる事だけだった。
神が「光あれ」と言った瞬間から闇も生まれた。
祝福と呪いは常に双子。
タダでプレゼントくれる人には注意したほうが良いです。

長々と駄文を書いてすいません。ルーピーさん勝手に台詞喋らせてすいません。
途中で気が付きました。犬いらないよね?と
でも、構成しなおすの面倒なのでそのまま書きました。犬抜いたほうがすっきり仕上がったと思うのですがw
補足というか豆知識
サンタさんについて、知ってると思いますが一応。実はサンタさんは双子で皆さんにおなじみの赤いサンタさんと、黒いサンタさんがいます。赤いサンタさんは良い子にプレゼントをくれますが、黒いサンタさんは悪い子におしおきをします。おしおきの内容はなんか持ってる袋で殴るとか動物の内臓を部屋に撒き散らすとか、子供を袋に入れてさらってしまうとか、結構きついお仕置きですねw
そしてサンタさんのモデルになった人ですが、聖ニコライとかニコラウスとか呼ばれているお坊さんです。結構偉い人らしく聖人になっているそうな。
以下聖ニコラウスさんの伝説です。真偽はともかく下記の内容を実行していたとしても周囲が不思議とは思わない人格者だったのでしょう。
以下のような伝説のほか、右に挙げる絵画のように無実の罪に問われた死刑囚を救った聖伝も伝えられている。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。
そしてピレネー犬は、名犬ジョリィなんかでもおなじみなのですが、この犬は飼い主に忠実でテリトリーに対する防衛本能が強く、さらに子供が好きなようで家庭犬にも適しているそうです。ただ超大型犬ですから躾をしっかりする必要があり、かなり頑健な体を持っているため運動が必須で、広い庭があるほうが理想だそうです。あずまんが大王のちよちゃんは理想の飼い主のようですね。忠吉さんは幸せですねw
鶴見のしみ軍血風録
真紅雑賀に燦然と咲き誇る愛のある一門しみ軍!(注1)
強力な個性の集うメンバーの中でも博覧強記で知られている立花澪千代さん。


温厚な立花さんですが、彼はある世界の謎に関わっています。
彼のニックネームは「ギー太」君です。
その由来はこれです

この女の子が持っているギター(レスポールという種類だそうな)がギー太君です。
そして、とある「けいおん」世界の中で「ギー太」という名前はほぼ唯一の男性名詞で唯一の擬似恋愛対象です。
なぜかといいますと、この「けいおん」の世界はゆる~い女子高生ガールズバンドのふわふわとした日常を描いているのですが、恋愛対象になりそうな男性はでません。あえて言えば楽器店の店員さん(名前なし)とか律の小学生?の弟がでるくらいです。
おそらく世界感の邪魔になるものは全て排除されているのでしょう。年頃の男性だけでなく両親も出ません。各自の家(いずれも立派な一軒家、一人は凄いお嬢様)はちゃんとでるのですが、ご飯を作っているのも主人公の妹さんです。先生も女子高生とほとんど変わらない優しい先生がでます。ほかの先生はほぼ出ない。
つまり、世界の全てが優しく可愛くふわふわとした大好きな物だけで構成されているユートピア(注2)となっています。
私は原作読んでませんし、この手の作品はあまり見ないので(注3)詳しくは無いのですが、これはこれで良いと思ういます。ただ、華の盛りの少女達(注4)を愛でる事を目的とした作品がアニメの主流になったら悲しいですけどね。凄い売れてるらしいですがw
人間が何度輪廻転生しようが無機物に転生する事は無いはずなのですが、この世界唯一の擬似恋愛対象になるとはギー太君はさすがです。
おそらくギー太君の前世は付喪神(九十九神)なのでしょう。

ギー太君は和ぎる神として、けいおんの世界感に幸せを齎したのでしょう。
しみ軍でもギー太君に揉み饅をお供えして幸せのおすそ分けしてもらいましょう。
ぎーちゃんの紹介ではなく「けいおん」の感想文になっちゃいました。もう書きたい事だけ書いてますw
(注1)この投稿は鶴見の独断と偏見と意図的な間違いより成立しております。突っ込みは大歓迎ですが、ご批判はご容赦ください。
(注2)ユートピアとはイギリスの作家さんが作った言葉で、現実には絶対存在しない理想的な社会の事だそうです。その意味でもこの作品の世界はユートピアです。
(注3)あずまきよひこ先生の作品は読んでます。漫画の「よつばと!」と「あずまんが大王」だけですが。ただ「よつばと!」では父ちゃんとジャンボは重要なキャラですし、「あずまんが大王」でも男の子も普通にでます。変な先生もいたな。
(注4)世阿弥風に言えば、今を颯爽と咲き誇る時分の花です。立っているだけで華があり力がある存在としての花。その時分の花のみに頼る設定とストーリー、エピソードは花を魅せる為に存在している。ある意味この手のアニメの進化の頂点に位置している作品(不必要な部分を可能な限り排除・退化させているという意味で)だと思いますが、頂点とは言い換えれば行き止まりとも言えます。この先は花の魅せ方を追求していく事になるのかな?
とほほな竹中23
今日、僕は悪いことをしてしまいました・・・
とほほな竹中22
こんにちは、お久しぶりです。
鶴見のしみ軍血風録
真紅雑賀に燦然と咲き誇る愛のある一門しみ軍!(注1)
強力な個性をもつメンバーが集うしみ軍の中にあって傍若無人の存在感を見せ付ける密教僧である羅巣風鎮さん。
その存在感はしみ軍に止まらず、真紅雑賀にも知れ渡っております。ラスさんが両替前でエロ話をしようが奇矯な所作をしようが法力で空中浮遊をしようが不思議に思う人はいないくらいだと思います。
ですが、それは人々を苦しみから救わんとするラスさんの修行の一環なのです。
しみ軍は愛のみならず、人生の灯火となる知性を磨く議論や世界に革新をもたらさんとする技能を追求する側面もある事は以前に報告いたしました。ほかにも人々を無明(注2)から救うという使命を自負しているのです。
以下、ラスさんの言動を検証していきましょう。

聞いた話ではラスさんの月収は一億(注3)ほどだとか、それを日本経済の消費低迷を防ぐため、景気をよくするために全部投げ打つとは凡人にできる事ではありません。
これは六波羅蜜(注4)の1つ布施波羅蜜に他なりません。菩薩を目指す本気度が伺われます。

これなどはラスさんの般若(注5)の発露でしょう。
人々を無明から救うには知恵の光で照らさなければなりません。
ラスさんの実践智を深めて、物の真相に体達しようとする意思が感じられます。

ラスさんの言動の多くは仏法はもちろん王法や世間法にも全くそぐわないものです。
ですが、これはラスさんが出した回答なのではないか?と思っています。
なんの回答かと言えば、釈迦が後世の人間にだしたクイズ。妙法によって到達できるとされている悟りへの答えです。
釈迦の成功の実体験を根拠として、無数の修行者が挑戦したのですが、お釈迦様の境地に到達した人は一人もいないらしいです。
ラスさんの奇怪な言動は彼の独自のドグマに従ったものだと考えられます。
彼の世界観は少なくとも諸行無常(注6)、諸法無我(注7)の自覚によってもたらされる涅槃寂静(注8)の世界ではないでしょう。
何時の日にかラスさんが如来として現世に降臨したときに示される真理を思うと胸が躍るものがあります。

今回、仏教用語などをいつもどおり適当に使ってます。一応調べましたが、意図的な間違え以外にも誤った理解があるかもですが、ご容赦ください。学校などで真面目に宗教を勉強したことがないので^-^;
仏教って沢山の人の思索の塊というか哲学というか、軽い気持ちでネタにしようとしてはいけませんね。読むだけで凄い時間かかりました。
一応、なんとか理解できた範囲で注もつけましたが、疑問とかあったらご自分でお調べください。間違っても鶴見に質問してこないようにお願い申し上げます。
(注1)この投稿は鶴見の独断と偏見と意図的な間違いより成立しております。突っ込みは大歓迎ですが、ご批判はご容赦ください。
(注2)なんか字面が渋いので多用していますが、迷いということです。仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべての苦は、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。
(注3)もちろん単位はラスです。ラスさんの日本円の月収は知りませんw
(注4)六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、ブッダを目指す菩薩が修めなくてはならない、6つの実践徳目のこと。「六度(ろくど)」とも呼ばれる。菩薩は、この六つの波羅蜜行の徳を蓄積して、遠い未来の生において一切智の正等覚者として無師独悟する。この投稿での意味は真理に至る為の修行ぐらいの意味で使ってます。
(注5)般若というのは、知識を深めて物事を客観的に分析するだけに留めず、実際に実生活などで実践して物事の実態を体得する事。知識を生活に息づく知恵にする事のようです。
鶴見は般若は鬼、もしくは悪鬼のような容貌くらいに思っていたのですが、これは源氏物語で葵上が六条御息所の生霊に悩まされていたのを般若経でその怨霊を鎮めたという描写があり、それが能などになった時に使われる鬼女の面が般若面となったようです。そこから般若=鬼 のイメージが出来上がったようです。
(注6)全ての万物は生滅を繰り返し、不滅の者は一つとしてない。日本人には平家物語などでもお馴染みの思想。
(注7)常に流動変化するものには私自身(自分自身)も含まれる。子供の頃からの人間を考えれば分かるのだが人間は日々成長変化している。それを理解できず私(我)が恒常不変のものだと考えるのを我執として退け、変化し続ける我を認め変化しつづける世界との関係(縁起)の中で自覚して生きていく考え方。
(注7)無常・無我を自覚する事で現れる煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。
ただ仏教は欲望を否定しているわけでは無いようなので、昔オウムの事件でよくみたゾンビみたいな信者はまともな仏教の人からみたら失笑ものだったかもしれません。



